2007年6月23日 (土)
ディヴィッド・コレヴァーソロリサイタル

2007年6月23日(土)午後2時~   ミューザ川崎 アセンブリーホール

ディヴィッドにとっては初めての会場だったが、演奏後の彼の感想によると、ホールの大きさが手頃で段差もなく聴衆との一体感が得られたとご満悦の様子だった。

私は私で彼の演奏から何を得たのだろう。それは彼の内にあるバッハやベートーヴェン、リーバーマンやフランクを垣間見ることだった。絵画ならミケランジェロでもダ・ヴィンチでもその世界を直接見られるが、音楽の場合は演奏家を通じてしか作曲家の世界が見られない。また絵画なら嵐の海も平和な森も直接眺めて鑑賞できるが、音楽の場合は音で嵐の海や瞑想の森を想像するしかない。さらに絵の場合なら、一つの絵の鑑賞に2分以上費やすことは困難だが、音楽の場合には一つの曲に20分、30分を掛ける楽しみと贅沢さがある。絵の鑑賞に単なる形や色の美しさを追うだけでなく、その奥にあるものを追い求めるように、音楽の場合も音の美しさや手さばきのテクニックに魅入るだけでなく、曲想の奥にあるものに触れてみたい。今回も彼が奏でる千差万別の音をたよりに私なりに自分の音の城を築いていった。

プログラム

1.バッハ: 半音階的幻想曲とフーガ
彼が14歳のとき初めて人前で弾いたという曲。私には数珠繋ぎとなった黒曜石のにぶい光がある時は劇的に大波となり、またある時は静かな小波となって打ち寄せるかに思えた。
2.ベートーヴェン: ソナタ ハ短調 作品111
ベートーヴェンの作った最後のソナタ曲。 それだけに思い入れのあるフィニッシュで終わる曲という。第一楽章は嵐のような激しさ、第2楽章は瞑想的な精神世界と対照的。私は第1楽章で燦々と輝き、華々しく散り落ちる音を見た。強烈な匂いを発する音の花、静かに咲く桔梗のような音の花、音の花壇を見た。また第2楽章では空高く舞い上がり旋回する音の鳥を見た。
3.ローウエル・リーバーマン: ソナタ第3番
リーバーマンはディヴィッドとジュリアードの同級生。その現代性に心打たれた。この曲は本邦初演奏。音が轟音となった飛んだかと思うと急に止まる。鍵盤というよりまな板の上でネギを刻むように音を刻む。機関銃がなるような錯覚もする。そのような無機な空気の中に赤いバラが咲く。平和のシンボルのようだ。コンクリート丸出しの塀に赤いバラのプランタンが飾られたようだ。ディヴィッドのプログラムノートに「中間部は長く”ドナ ノビスパッチェム”と題した瞑想的な部分がある」とあったが、これが私のバラだ。ドナ(give)、ノビス(to us) パッチェム(peace)、つまり「我等に平和を」というところがある。演奏後のディヴィッドの話に、この曲は2002年、例のイラク戦争が勃発した年に作曲されたもの、この戦いに批判的だった彼には平和を希求するところがあったという。轟音や機関銃と響いたのも道理のような気がする。
4. フンンク: 前奏曲、コラールとフーガ
今日の演奏の中で一番好きだった。 音を掘って行く感じががした。地を浅く深く掘って行く音。地中から地上に舞い上がる音の埃、煙。黒煙となって舞い 上がる音、雨に濡れた音、地響きがする美醜を超えた音、メタリックな音すらある。か細さがなく、地中を掘るためデンと地上に構えられた機械の音がした。
プログラムノートに「この曲は古今東西のあらゆるピアノ曲中、形式内容とも、きわめて特殊な作品で、常にあらゆるピアノ音楽中第一級の位置を占めることに異論がない」とあるが、そのとおりなのだろう。