2013年10月12日 (土)
抽象画「柔らかい鉱石」

柔らかい鉱石

音楽を聴いてその印象を絵にする、そんな冒険を今回はやってみた。
昨年(2012年)12月8日、パリ国立高等音楽院の教授でフランス政府から文化勲章を贈られたイヴ・アンリ教授の「ワルツ」(ショパンからドビュッシー、ラヴェルへ)というレクチャー・リサイタルを聴いて、その繊細でダイナミック、かつ甘みのある賑やかな演奏にいたく感激した筆者は、それを絵にしたいと強く思ったからだ。
クラシック音楽はそもそも抽象的なものだから、絵も抽象画にしようとまでは簡単に思いついたが、その具体的着想については悩みに悩んだ。たとえば「月光」を聴いて闇夜に煌々と照る月を描いたり、海に「喜びの島」を描いたりしてみたが、リサイタル全体の恍惚感を出せるような代物ではなかった。
 音楽と絵画の類似性を指摘した画家にワリシー・カンディンスキーとポール・クレーの二人がいる。この二人の作品は今回大いに役立ったが、それらを真似するわけにはいかない。
 何かほかに参考にするものはないかと思案に暮れながら九月のある日、横浜の高島屋デパートをうろついていると、ガラス工芸家の黒木国昭氏の個展に出会った。覗いてみると、琥珀色にコバルトブルーの、非対称形をした円筒形の花器や切子が展示されており、その形や色の美しさに魅了されると同時に、その工程で溶解したドロドロのガラス、その中に浮き立つ朱や金の色模様、そんな写真に大きなヒントを得た。
その帰り道、立ち寄った本屋で立ち見した雑誌に今度は触発された。今月号の「芸術新潮」に真夜中に提灯をかざして富士山山頂を目指してねり歩く何千人もの人のうねりの行列写真が目に入った。手前から遙か向こうの先端にまで暗闇の中をくねくねと光るうねりの赤白い光がおもしろかった。さらに、ある写真雑誌を見るとロシアの新体操選手、エフゲニヤ・カナエワの写真が目を引いた。そのダイナミックな身の動き、スピード感、流麗感に「これだ」と手応えを感じた。身を仰け反り四肢を自由に前後左右に伸ばしたり、背中に赤球を背負いつつカニのような姿になったり、一方の足を水平に片足で立ち、両腕で高く挟んだ白球を見上げている姿などどれも絵になる美しさだった。
花器、切子、溶解ガラス、光のうねり行列、新体操の形、色、動き、これらを総合して下絵を描いた。
 用いたカンヴァスにはすでに同目的のために月夜やベニスの舟歌を想わす油絵を描いていたが、もう一つ合点が行かず、抽象画ならあくまで抽象で攻めるべきと、思い切ってそれを白色で消し去っていたもの。ただし、前図はペインティング・ナイフで強く凹凸のある描き方をしていたので、白く塗っても下の色が薄く浮き出て、そこはすでにある種の表情をしていた。カンヴァスを白地に戻すと白紙に戻った気分になり、一からの出直し制作となった。
絵は一般に構図と色彩と動きで決まるという。そのため構図は、主として新体操のエフゲニヤ・カナエワの妙技で固め、最も躍動感のある、身を仰け反り四肢を大きく伸ばした姿を中心に、その周りにいくつかの別の体操光景を配した。
構図はそれなりに出来た。次は色彩である。リサイタルの強弱微妙な音色をどのように演出するか。ここでヒントとなったのがガラス工芸の工程で見たあの艶々とした乳白色に浮く朱色だった。続いて鉱石のオパールや貝の中のパールが浮かび、「柔らかい鉱石」という妙な言葉が浮かんだ。言葉に触発されるとはこのことか。固いと思い込んでいる鉱石に「柔らかい」という形容詞をつけると、途端にドロドロしたいろんな色が浮かび上がってきた。クリスタル、サファイア、翡翠等々の色が次々と脳裏をかすめ、そのような色で四肢や背景を塗りつぶして行くと、図らずも絵に動きが出てきた。新体操で用いる、ぐるぐる巻きの赤や青のテープが富士山山頂めざして行進するうねりの光にも似ておもしろい動きを醸しだした。
絵画空間は、音楽時間がいくつもの相互に関係するフレーズで構成されているように、単なる部分の寄せ集めでなく、それらが相互に意味ある部分として全体の中でさまざまな力を発揮し、作用し合う緊張した領域である。静的空間が動的空間に変貌するのはこのためだ。
ここまでくると絵から何やら音楽らしきものが聞こえてきた。幻想曲だろうか。ついに筆者の内面で疼いていたリサイタルの心象風景が描けてきた。それでもなおかつ何かが欠如している。それは一体何か。ガラス工程で見たあのキラキラ感である。どうすればそれが表現できるか。考えた挙句、金色と銀色の絵具を買うことにした。大した費用ではない。それを購入して輪とボールと腕章に少しそれらを用いると断然ピカピカ光るアクセントになった。これこそ音楽の艶だ。
今まで感動、感激したリサイタルやコンサートの印象を綴る際には色々な譬えを用いた。たとえば宝石に見立てたり、各種のカクテルに見立てたり、あるいはタペストリの図柄や鯵の腹部の天然色にさえ見立てた。今回のようなミュージコロジーを絵心事―にするのは初めての試みだったが手応えがあった。次回からはさらに一層抽象度を上げて行きたい。
(2013.10.3)
柔らかい鉱石