2015年9月15日 (火)
木越 洋チェロリサイタル

 

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今日は摂津響SaalとThe Music Center Japan共催による 有名な木越洋のチェロコンサートをSalon Classicで昼夜に亘って開いた。

これぞ人生だと木越はチェロで語り、チェロが自らそれを語った。チェロが、キラキラと輝くヴァイオリンの音色に比べ、グッと下腹に響く滑らかな低音で深いコクとまろやかさを持っているというのは一般論だ。木越の演奏はそんなものをとっくに超越している。木越のチェロは楽器も音色も彼の身体の外でなく内で一体化している。まるで野球選手のバットが選手の腕の延長であるがごとくに。その弓捌きを見よ。その縦横無尽にくねくねと柔らかく激しく動く軌跡は腕そのものだ。音色を聴いてみよ。あぁ、動脈を走る血の音も静脈を走る血の音も聴こえてくる。それどころか毛細血管を走る血の音さえも聴こえてくる。あるかなしかの音。か細い、か細い音。この音の中に生命の鼓動を知り、チェロの奥深さを知る。

チェロの音色はまた虹に似ている。どの音にも七色が滲み、その中に身を呈していると、虹に漬かり虹に吸い込まれて行く自分を感じる。木越の熟達した演奏にはその風貌と同じく風格があり、風雪を感じる。滑らかでいてよく聴くとそこに起伏があり、そこに人生を感じる。今日のチェロを聴いていてはたっと気付いたことがある。それは私の描く油絵の音化だ。私の絵の色調はどちらかといえばブライトよりもダーク調でいわばチョコレート色だ。重厚でいて甘みを持つこの色調がいつの間にか自分のカラーとなった。チェロの音色がそれにそっくりだと巧まずして感じてしまったのだ。

今日聴いた曲の多くは平素から聴き慣れた曲だったが、木越による解説を聴いてあらためてその良さを感じた。今日のバッハの組曲全体に言えることだが、これら舞踊曲は決して派手な動きはなく、わずかに顔を動かす程度のいわば楚々とした風情が日本の茶道に通じるという。なるほど上手く表現したものだと感心した。私の音楽鑑賞法は極めて簡単明快。いい演奏かどうかは、その演奏を聴いて波を被った感じになるかどうかだ。今日はその意味で久しぶりに波を被った。サン=サーンスの「白鳥」はよく聴く曲の一つだが、青い水面に白い白鳥が黒い影を落とす感じを味わったのは初めてだった。またラフマニノフの「ヴォカリーズ」の一種暗鬱な調べに人生のエレジーを感じたし、カサドの「愛の言葉」に先輩カザルスに捧げる「艶のある」惜しみない讃辞に感じ入った。

プログラムは

バッハ: 無伴奏チェロ組曲第1番、 E.エルガー:愛の挨拶、E.ボルディーニ=クライスラー編:踊る人形、宮澤賢治/林光編:星めぐりの歌、フォーレ:シチリアーノ、サン=サーンス:白鳥、カサド:愛の言葉、チャイコフスキー:メロディー、ラフマニノフ:ヴォカリーズ、モシュコフスキー:ギターレ、トスティ:セレナータ