2004年5月22日 (土)
特別番組 「プラハの春」を訪ねて

2004年5月22日より6月1日までの10日間、プラハを中心にチェコ旅行に 出掛けた。チェコは今年5月1日よりECの仲間となり、同時に今年は同国の生んだ偉大な作曲家、ドボルジャークの没後100年に当たる記念すべき年でもある。旅日記のうちから、「プラハの春」音楽祭とドボルジャークゆかりの地への訪問 並びにスロヴァキア国境に近いモラヴィア地方の村で見た村祭りの様子の一端を掲げよう。
スメタナホールの夜

着いた翌晩(23日)、旧市街にあるアール・ヌーヴォー建築の市民会館内のスメタナホールで「プラハの春」音楽祭に臨んだ。この音楽祭は1952年以降、毎年チェコの生んだ偉大な作曲家スメタナの命日にあたる5月12日に始まり6月2日に幕を閉じる。今晩はそのほぼ中日。メイン会場の一つ、スメタナホールの威風堂々さに先ずは度肝を抜かれた。文化とはこのようなものを指すのだろう。単なる箱物ではない。雰囲気を包み込んだソフト付ハードだ。ステージの後ろにも観客席があり演奏と同時にそこに座る観客も見た。アールデコ調に着飾った漆原啓子さんの名古屋交響楽団とのヴィアオリンコンチェルトが始まった。われらが愛して止まないメンデルスゾーンの曲だ。細くデリケートで艶の有る甘味な調べは絹糸を縒った感じ。上品なスタメナの舞台に絵画的にうまく溶け込んだ啓子さんが音楽的には傑出して聴こえる。その音は胸というより頭の感性をくすぐる。無心に弾く音の中の音は研ぎ澄まされ、美音のメロディアスな響きは一匹の小魚が水槽の中をキラキラと鱗を光らせながらすいすいと上下に泳いで行く航跡にも似ていた。

ドボルジャークを訪ねて

プラハ北西に車で1,2時間離れた田舎町ネラホゼベスにドボルジャークの生家があった。広い畑に囲まれた鄙びた田舎家は月曜日で内部は見られなかったが、彼が幼い日を送った生家の環境をこの目で目撃できて幸いだった。次に彼の愛したヴィソカの別荘を訪れた。ここで思いがけない幸せに恵まれた。ドボルジャークの孫娘(実の末娘の子)、ヴィエラ・ヨーノヴァーさん(91歳)に会い、ドボルジャークのことを直接聞けたことだ。1841年生まれの彼が84年からこの二階に住み、数々のオペラを作曲したとか。ヴィエラさん、杖をつきながら、「もうこれがここに来る最後になるかも」と言った。それを聞いた筆者、彼女の手を引いて二階から急な回り階段をそろりそろりと一階まで下りた。中学時代から聴き慣れた「新世界」の主がかくも身近になるとは!

モラヴィア地方の村祭り

ボヘミアの東はモラヴィア、この地方の年一回の村祭りを見た。この地方の若い男女はまことに美男美女。前夜祭で村の集会所に集まった若い娘たちのパレードをご覧あれ。これはブリューゲル描く16,7世紀の村の結婚の宴そのものだ。梢のシルエットの間から半月が蒼く輝く月夜の晩、村の外れにある農機具格納庫のようなコッテージの前で、裸電球に照らされながら奏でられる弦。短調の情熱的な旋律、緩急自在なリズム、熱狂的でラプソディック。陰影に富むモラヴィア民謡に 情熱と哀愁の両方を見た。ラテンの赤い情熱より東欧の青い情熱だった。

 ( 土 ) 特別番組 「プラハの春」を訪ねて