1999年10月30日 (土)
第5回ニューヨーク音楽セミナーの旅

カーネギー・リサイタルホールでピアノ演奏と日米音楽交流 を期しThe Music Centerニューヨーク本部と当センター共催のピアノ・リサイタルがカーネギー・リサイタルホールで10月30、31日の両日開かれ、山口恵子、片岡和子の両氏が半時間づつその腕を披露した。また、日米音楽交流で豊田真理さんがフルート、 赤木舞さんがピアノを弾いた。 今回、カーネギー・ホールではショパン没後 150年を祝ってバイロン・ジャニスによる記念ピアノリサイタルが開かれていた。それをエッセーにした

バイロン・ジャニス演奏会

ショパン没後150周年を記念するバイロン・ジャニスのピアノ演奏会を カーネギーホールで聴いた。この1999年11月1日の演奏を私はこれからも忘れはすまい。それほどに今日はこの楽器の中の、 楽器の中の、楽器の音色に魅了され尽くした。 最初の楽器はカーネギーホールそのものだ。 3,500人を収容するこの音楽の殿堂は四階のバルコニーを持つ、音響効果満点の典雅な造りのホールだ。 次の楽器はステージで、ベージュ色に染まった広い空間が さながら楽器そのものに思えてくる。その中央部に堂々と鎮座する黒塗りの スタインウエイコンサートピアノ、これが最後の楽器だ。ピアノのキー音がこれら大、中、小の楽器の隅々に快くこだましてこちらの魂を揺さぶる。

左の袖の方から現われた71歳の小太りのバイロン・ジャニスが万雷の拍手に迎えられながら、静々とピアノに近づき止まると、じっと10秒間ほど観客の多くを見つめたまま お辞儀もせず、何か納得したところで初めてかすかに頭を下げてピアノに向かった。あの有名なホロビッツの最初の生徒だけのことはある。それはもう貫禄というか威厳というか、とにかく只者でない空気を演奏前から観客に向かって放っていた。 演奏が始まった。プログラム全てが今日はショパンの作品で、この私にも聞き覚えのある曲の数々だったが、およそいつも耳にする響きとは異彩だった。 私には黒光りする音の雫の連続、まろやかに磨きに磨かれた音の結晶、 清澄な音で刺繍された光沢ある上品な音帯びに思えた。 派手な身動かしはほとんどなく、ほとんど同じ姿勢を保ったままの弾き方だが、 却ってそれが全身全霊で音楽に打ち込む彼の凝縮した妙技なのだと了解した。 音楽を聴いているというより音楽性を聴いているといった方がよく、また、音で静謐さを破るというより、 逆に音で静謐さを創っていた。

もう一人、ボリス・スツルレフという弱冠23歳の モスクワ生まれのチェリストが登場し、バイロン・ジャニスのピアノ伴奏で熱演をした。 髭剃り後が青黒く残る丸顔は一見ふてぶてしくも写るが、それはむしろ芸術家の空想性を表した顔かもしれない。 空を仰ぎ、目を瞑り、身体を反り、 腕を伸縮させ、手指を振るわせ、まるでチェロと格闘技をしている風だった。 紡ぎ出す音は、時に太く、時に細く、 時に高く、時に低く、 艶やかな音から擦れたような音まで強く、弱く、無我の境地で弾いていた。この若さで世界の大舞台に立つ幸運は そうそうあるものではない。 8歳でチェロを始めた彼が16歳の時モスクワでやった演奏が、たまたまある有名女流作家の目に止まり、 彼女がその知人であるバイロン・ジャニスに その時のわずか10分のビデオテープを送ったのが機縁となった。それを聴いたジャニスがその非凡さに感服し、 早速、彼をアメリカに呼び寄せケネディー・センターでの デビュを果たさせたのである。

私にはこの二人の音楽家が演奏した数々の音楽を解説するだけの資格も知識もない。が、普段から他の人によるピアノ演奏に何かもう少し別の音があるのではないか、 自分が理想とする音は これ以外にあるはずとの思いが強かった。私は今日まさにその音に出合った。 研ぎ澄まされた音とはこれをいうのだと確信できたのが何よりも嬉しかった。

The Music Center 中西隆夫 (1999年11月5日)

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