2009年5月9日 (土)
語り: 大正浪漫「夢二慕情」

ー-朗読とピアノ演奏でよみがえる、竹久夢二 愛の日々ー-
      朗読: 池田昌子  ピアノ: 和泉桃子
2009年5月9日(土) 12:30~     Salon Collina

ここ数日続いた雨ですっかり洗われた五月初旬の景色は垢抜けして、富士は早夏というのに粋な白雪の帽子を被り、葉山の山は濃いグリーンに黄をあしらった服を着て、足元をさつきやなんかの赤で飾っている。サロンの広い芝生も薄グリーン一色に染まり、今日の日を待ち受けていたようだ。

今日はあのオードリヘップバーンの声優として鳴らした池田昌子さんの語りとここ国際村出身のピアニスト、和泉桃子さんのピアノで優雅なひとときを過ごした。

現代の人たちに「語り」はどんなイメージを与えているものだろうか。ひょっとしたら暗いイメージを与えているものかもしれない。今日はそんな暗いイメージを一掃して、在りし日の男女の濃密で甘く切ない情愛機微にたっぷりと触れた。画面を見てや自ら本を読んでの話ではない。目の前の椅子に座って、感情、情感を込め、表情豊かに朗読する上品な池田昌子さんの語りを通じてである。緩急自在でメリハリのある一語、一語に滲みがあり、その行間から漏れてくる想いに思わずわが胸が締め付けられ涙する場面もあった。幸いを「さ、い、わ、い」と情緒を込めて発音されると、本当にそこに幸いが感じられてくる。日本語がかくもきれいで情緒に満ちた言葉であることをあらためて知ったのは筆者一人ではあるまい。

モモちゃんの愛称で通っている国際村のマドンナ、和泉桃子さんが奏でるピアノ『宵待草』で語りは始まった。この詩は大正二年、竹久夢二が発表した処女詩集「どんたく」の中のひとつだ。月のない夜の海岸で、ひとり寂しく来ない人への想いを募らせたこの曲は、夢二が銚子で出会った夢二好みの女性、タカへの想いをうたったものだそうだ。
 

夢二は大正時代を象徴する人物。時代は明治維新を経て、西洋文化が入り、絵画、音楽、演劇などが世に広まり、一人一人が自由な空気を満喫した時代だった。赤レンガの東京駅完成、日本橋の三越百貨店にエレベーター登場、女性の服装の洋装化、たくさんの流行歌の誕生。その後の昭和一桁時代の軍国主義を思うとき、何と素晴らしいロマンに満ちた時代だったかをあらためて知るのだった。まさにこんな時代に青春時代を送ったのがわが両親であり、そんな空気を吸った両親に育てられた私かと思うと、感慨一入なものがあった。
 

夢二は数多くの女性との噂が絶えなかったが、なかでも最初の妻になった年上の女性、岸たまき、絵の勉強をしていた女学生、笠井彦乃(ひこの)、自由奔放な女、お葉の三名が有名で、それら三人と夢二との恋物語が本日の語りの中心であった。ピアノはこの時代に生れた歌の数々。先ずは「早春賦」、続いて「カチューシャの唄」、「朧月夜」、「青い目の人形」、これらの懐かしい歌唄を観客とともに口ずさんだ。歌の生れた背景の説明も語りの内容だったが、そのうちの一つ、「青い目の人形」は当時の日本とアメリカの緊迫した政治的関係を少しでも和らげようと、アメリカの宣教師がアメリカから日本のこどもへ送ったのが一万三千近くもの青い目の人形だった。 しかし太平洋戦争が起こると人形は憎い敵の象徴として処分されてしまった。今も物置に隠されたこれらの人形が残っている。
 

またピアノが鳴ってきた。今度は「浜千鳥」と「叱られて」の二曲。小さい時から絵の好きだった岡山生まれの夢二は十九歳で上京、雑誌や新聞の挿絵描きをしていたが、絵葉書店の女主人、岸たまきに一目惚れして結婚、この女性が『夢二式美人画』の素となり、目が大きく哀しく美しい女性スタイルが一世を風靡した。しかし実際のたまきは絵のような内気な女性ではなく社交的で派手好き、気性の激しい女性だった。夢二は夢二でロマンチストに見えても実際は嫉妬深かった。

二人の間に争いは絶えず、ついにたまきはいう。「あなたはまあ取り返しのつかないことを言い出したのね。もうこうなりゃおしまいだわ。何も聞かないで。何も言わせないで、きれいに別れましょうね。それがあなたのためよ」そうして彼女は去って行ってしまった。その後、結核を患って信州の療養所で、ありがとうの言葉を残して五十一歳で世を去った夢二の枕辺には誰一人女性はいなかった。『夢二死す。枕頭に人なく寂しく眠る』大々的に新聞は報じた。夢二がなくなって半年後、その療養所に一人の初老の婦人が訪ねてきた。

「夢二さんの臨終を看取れず大変申し訳ないことをしました。夢二さんの最後の様子をどうかお聞かせください。」と涙を流しながら頭を深く下げる女性に、応対に出た看護婦が、「もしかしたら、たまきさんですか」と聞くと、女性は静かに肯いた。「夢二さんが亡くなったことは新聞で知りました。すぐに来ようと思いましたが、家族がいらしたら悪いと思って我慢しました」。この何と言う配慮。泣けてきた。「夢二さんが、みなさんに大変お世話になりました。そのお礼奉公をさせてください」と頼んで雑役婦として働き出したのが、だれあろう、岸たまきであった。
 

 
テレビもコンピュータも電話もなかった時代、人は直接、人に向って思いを告げるか、文で伝えるほかなかった。その時代に比べると現代は機械文明に犯され、人はロボット化、デジタル化し、情緒も人情も薄れ、乾いてしっとりした味をなくしてしまった。こんな時代にこのように集いしっとりとした人間味を味わうこと自体が珍しいというのだからまことに残念である。また今日思ったことに、まだ十六歳という画学生が少女とはいえ、物思いに更けるところは実に大人っぽい。今の時代、十歳上の二十六歳でも実に幼い。また当時ややデカダンスに見えるこの男性がこのように女性に慕われるのも大正浪漫かと妙に感心した。

 ( 土 ) 語り: 大正浪漫「夢二慕情」