2019年10月30日 (水)
土井緑ピアノリサイタル

 

今晩は大阪のフェニックスホールで土井緑さんのピアノリサイタルを聴いた。案内書にパリで煌めく作曲家達とある通り、パリ情緒に溢れていて痺れた。作曲家もさることながら演奏者の緑さんがパリジェンヌにならなければこのような雰囲気は出ない。さすがは土井緑さんその演出は見事だった。ここ三年間、毎夏、ジョルジュ・サンドの郷、ノアンにご一緒している仲間で、彼女は向こうでパリ国立高等音楽院のイヴ・アンリ教授の指導を受けている。

フランス音楽はドイツでもポーランドでもオーストリアでもイタリアでもスペインでもない、独特の味がある。それは“機知”とでも名付けようか。精神性が色濃く漂ったり、哀愁が長く尾を引っ張ったり、エキゾチックな味がするというほどでもない。美を脱色したような美、乾きの中に湿りがあり、湿りの中に乾きがあるような音そのものを楽しむ美だ。そこには音を玩具のように弄んでいるような無邪気さがある。実際、スクリャービンの「二つの小品」を聴いているとき赤ちゃんがガラガラを振っているような光景を想像した。またラヴェルの《高雅で感傷的なワルツ》を聴いていると、その硬質な音にキンキンとなる感触をもった。まさしくこれらは私の好みだ。若い時からフランスに憧れシャンソンを好んだ私だった。最後のラヴェルの「鏡」よりの‘道化師の朝の歌’を耳を皿のようにして聴いた。なぜならこれをテーマにした抽象画を近く描きたいと思っていたからだ。水玉模様のブカブカした服を着たノッポのピエロがカッポ、カッポと歩く足音に聞こえた。