2016年7月11日 (月)
David Korevaar Solo Recital とThe Summer Joint Recital

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今回のデイヴィッド・コレヴァーの公演は今晩で全て終わった。ご苦労さん、お疲れ様と我が家で缶ビールと19度の日本酒で乾杯した。もう二十年以上も付き合っているアメリカの息子のような存在のピアニスト、ディヴィッド54歳。彼と酒を飲んで、今日は新しい単語を学んだ。Metierだ。彼曰く、「ボクのMetierは音楽だけど、たかおさんのmetierは創造だ。」と。「Metier?、何じゃ、それは」と訊くと「専門分野のこと」だという。かれは私のサラリーマン時代から知っていて、会社から帰ってきた時のあの浮かん顔の隆夫が、定年後、生き生きして、音楽や絵画、詩、エッセーに手を出している。この男は道を間違ったらしいと思っているらしい。まぁ、それは当りだろう。家内ともども話が弾んで今夜は楽しいひとときを過ごした。
さて、本日(2016.7.3)の本論。今日は2時からSalon Classicでディヴィッド・コレヴァーのソロリサイタルと18:30からディヴィッドを客演にしたジョイント・リサイタルがあった。
今晩のジョイント・リサイタルは私という素人音楽鑑賞家にとっては大変よかった。アマチュア…とプロの腕前が比較できたからだ。以前にも言ったことだが、日本人というか素人のピアニストはみな、鍵盤を叩いた時、パシャという、水面に皿をぶつけたような、水が四方八方に飛ぶ、拡散した、ひしゃげた音がする。一方、プロのディヴィッドの音は、水底を目指したような、ゴボゴボと言った求心的な音がする。一方は拡散、他方は求心と丸反対の音がする。そんな風なことを考えながら、今日のイサイタルに臨んでいた。
ディヴィッドのソロ演奏会の最初はベートーヴェンの『熱情』。これを聴くなり、あぁ、これはナイアガラ瀑布だと思った。高みから何百もの筋となって大音響とともに落下する滝、ごつごつした黒い大岩に当って砕ける水煙、次に調子変わって静かに流れる抒情的な川、かつて見た渓谷の姿を思い出す。再度、また滝、観光船が上下左右に揺れ動くミストの中、綺麗な虹が射した。そんな勇壮な姿を『熱情』に見えた。
処変わって今度は1924年のナポリ。南イタリアは昔のギリシャの領土。そこに根付く土俗的で土臭い世界。この世に生きた限りは上も下もあるものか、古い教会の前で男女が歌えや踊れやと大変な賑わい。マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコのナポリ狂詩曲だ。いつ果てるともなく戯れるムードにこちらが酔う。
次はベニス。ゴンドラに揺られ、舟歌を聞きながら、たゆとうとした気分で、しばし周囲の海水の動きを追う。波頭はみな同じ大きさで一面に統一感があり、青々した紺碧の海に吸い込まれそう。まさしくデイヴィッドの弾くピアノ音こそ、底に向けて求心的に発する統一的なゴボゴボという音だった。これがピシャでは締まらない。マネの印象画を見るようなショパンの舟唄だった。

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