2015年9月19日 (土)
The Autumn Joint Recital

今日(9/18)のジョイント・コンサートは非常に聴き応えのある、いずれがあやめかかきつばたと言う感じだった。今日、あらためて感じたのは音楽は文学と絵画と一緒に味わう芸術的総合美であることだった。私がイヴ・アンリのピアノが大好きならイヴは私の絵が大好きと言ってくれる。色彩に共通点があるらしい。近い将来、イヴのCDジャケットに私の絵を使うと言ってくれている。今日はコンサートの前にピアノ・レッスンがあり少し私も聴講したが、そこで感じたのは、ピアノ演奏はピアノによる詩の朗読だということ。同じ詩でも黙読で味わうのと抑揚の効いた強弱朗読で味わうのとではわけが違うように、同じ楽譜でも一本調子に弾くのと感情を込めて弾くのとでは雲泥の差がある。感情の込め方は曲目の詩質を知ることだろう。たとえば、今日のラヴェルの「夜のガスパール」の“絞首台”や“スカルボ”。曲名に縁起でもない絞首台とは!一体全体、スカルボって何だ!「夜のガスパール」とは。これらを知らずして演奏はない。これこそ文学なのだ。ルイ・ベルトランの詩集の中から引用した詩だ。かつてピアニストのディヴィッド・コレヴァーがうちで練習をしている時、私をピアノの傍に呼んで、ピアノを弾きながら解説してくれたのを思い出す。“絞首台”は、鐘の音に交じって聞こえてくる死者のすすり泣き、頭蓋骨から血のしたたる髪の毛をむしり取っている黄金虫の詩だと。また“スカルボ”は、義足一本で部屋中を笑いながら自由に飛び回っている小悪魔の詩だと。そんな詩を引用するラヴェルとはどんな男か。バスク地方に生まれた風変りな男で、アパッシュ(=アパッチ、ならず者)という1900年頃にパリの音楽家や詩人で結成した芸術グループの一人で、その中心人物の一人だったらしい。なるほどそれで解った。こんな曲が生まれたのが。

客演のイヴ・アンリが今日弾いた曲はA.ボロディンの「ダッタン人の躍り」でイヴ自身が編曲したものだ。数年前に韃靼そばが流行ったが、その韃靼である。タタール人、カスピ海近くのトルコの遊牧民を指す。イヴ曰くそのイメージが私の描いたモラヴィア地方の村祭りにそっくりだと。この演奏で私がイメージしたのは絢爛豪華な色彩で覆われた森、いやほとんど音のジャングルだった。今日の出演者に対するコメントはまた後ほど書こう。

先ほどの続きを書こう。伊東くみが弾いたラヴェルの「夜のガスパール」よりの“絞首台”や“スカルボ”については先にも述べた。これらの曲には10本の指で一分間に1800回の打鍵が必要という。指一本、1秒に3回叩くという計算となる。なるほどめまぐるしい動きだ。白鷹里衣子のショパン、バラード第2番。Op.38.上半身全体から息遣いが聞こえてきて、止まったかと思うとキレよく大音で急発進する。そのドラマチックな演奏に痺れた。新屋良太のドイツ仕込みで歌う光沢のあるドイツ語テノール、シューマンの告白、シューベルトの鱒、H.ヴォルフの船乗りの別れ、いずれも情感豊かで声量豊か、その堂々とした歌いぶりにしばし拍手鳴りやまず。吉井明美のショパン、ノクターンOp.48-1,2.夢想表情で弾く演奏姿には内面美が零れ、その濃淡とアクセントのある演奏にいつの間にか吸い込まれていった。シューマンのピアノソナタ第2番ト短調Op.22-1,2,3を弾いた橋田歌壽美はまだ若木の音大3回生、表情は少し硬かったが長い曲をそつなくこなした。これからの逸材だろう。最後に客演で弾いたイヴ・アンリについてもすでに述べた。その円熟した演奏ぶりを今回もまた目の当たりにしてみなとは次元が違うと言わざるを得なかった。みなが音の林、ブッシュとすれば、彼は音の森、フォレストでありジャングルだった。濛々と立ち込める音の蒸気、そのパワフルな音量、響きに聴衆一同が有頂天になった。アンコールはついに四曲に達した。今日のレクチャーリサイタルはプロジェクターを用いての解説もある。どのような話が展開されるか楽しみだ。

IMG_0146 伊東くみ

IMG_0150 白鷹里衣子

IMG_0152 新屋良太

IMG_0155 (1) 吉井明美

IMG_0159 橋田歌寿美

IMG_0169 (2) イヴ・アンリ教授

IMG_0173 モラヴィア地方(チェコ)の村祭り

IMG_0171 一部欠席

IMG_0174 芦屋竹園ホテルにて