2017年4月17日 (月)
The Spring Joint Recital ~パリ国立高等音楽院イヴ・アンリ教授を客演に迎えて~

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今日(4/16)も昨日に引き続き、パリ国立高等音楽院のイヴ・アンリ教授を客演に迎えて春のジョイントリサイタルを催した。今日も教授の素晴らしい演奏についてだけ述べることにする。先生の演奏曲目はショパンのバラード第4番作品52、子守歌作品57、それにワルツ作品18だった。
先ずは「バラード」。出だしのタッチからして甘美が漂っている。匂いそうだ。濃淡のある赤紫に白い水しぶきがかかったような風情、花にたとえれば薄紫の芍薬といったところだろうか。次に「子守歌」。出だしからして優しく、柔らかい。聴くほどに「なでしこ」に思えてくる。最後の「ワルツ」。同じウィンナーワルツでもヨハン・シュトラウスのそれではない。ショパンのピアノ曲になるとそれはダリヤだろうか。同じピアノで弾いてもアンリ教授の場合はこのようなイメージが湧いてくる。もうそれは素晴らしいピアノ芸術である。
私は昨日、音で紡ぐ刺繍と言ったが、まさに今日は音で紡がれた花々だった。教授の頭の中にはきっと演奏に先立って曲のイメージ絵が描かれているのだろう。音で描く絵だ。構図があり、濃淡があり、アクセントがあり、動きがある。特に問題にしたいのは濃淡の淡である。弱い音の存在である。日本人にはなく西欧人にはある。日本人の多くが弾く音は浮世絵の美人画の髪の毛に似て、一本一本は細くきれいに黒色で引かれている。が、その間は真っ白で、何もない。それが西欧人、なかでも教授になると、髪の毛は黒色でなく濃灰、そして毛と毛の間には薄い灰色がグラデーションとなって滲んでいる。文の行間を読むという表現があるが、それに似てこの音間の滲みが情感を伝えてくれる。これがあるとないの違いだろう。これはやはり西欧人と日本人の言葉の違いと息遣いの違いだろう。子音中心の言語を操る西欧人の息遣いと母音中心の言語を操る日本人の息遣いはリズムにおいて違う。西欧人の方がよりリズミカルで指にもそれが伝わっているのだと私は思う。
今回、教授はうちのサロンに入るなり、私の絵の一つ、「ジャズシティー」に見入って、それをスマホに収めていた。絵と音楽は共通している。私は私で教授のピアノに聴き入り、上記のような絵を頭の中に描いた。