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2017年11月24日(金)開演14:00(開場13:30)
西川悟平のコンサート&トーク

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下記は2017年10月12日(木)、小生が所属する神戸東PROBUS(Professional and Businessman)クラブで西川悟平君の事前許可を得て同君のことを小生が話した要旨です。参考になれば幸いです。

ある男のビックリ物語

 

(卓話要旨)

今日は堺市出身で、大阪のデパートの和菓子売り場で頭巾を被って売り子をしていた25歳になる西川悟平君が43歳にしてついにアメリカンドリームを果たした、ウソのような、しかし本当の話をしたい。彼は明後日、10月14日、世界一の大富豪、ロスチャイルド家のシャーロット・デ・ロスチャイルド男爵夫人の世話でロンドンデビューを果たすことになっていて、今や押しも押されもしないパナソニックの看板男である。その彼の夢実現のきっかけを作ったのが私たち夫婦で、彼の生活ぶりを間近で見てきた。

切り口は色々あろうが、今日は悟平を通じて日米のものの考え方の違いを浮き彫りにしたい。

約20年前、私達夫婦がやっているThe Music Center Japanの親分格、The Music Center, New Yorkのディレクターでピアニストの二人を日本に招き大阪でコンサートを開いた。

そこで前座を務めたのが西川悟平だった。彼の演奏を聴いた二人は彼を激賞、ニューヨークに来たら弟子にしてやるとまで言った。悟平は3歳からピアノを習ったようなサラブレッドではない。何とピアノを始めたのは15歳の時だった。逡巡した悟平はニューヨーク行きについて周りの日本人の友達やピアノの先生に尋ねてみた。全員が反対だった。今度は外人の友達に尋ねた。全員が賛成だった。

そこでビザ無しで行ける3か月期限で初めてニューヨークに渡った。ここで教えられたことは日本で教えられたことと全く違った。色んな音で構成された派手なリストやラフマニノフの曲を弾くと、先生たちは、悪くはないが、派手な曲より、一本の旋律を歌い上げるような曲を表現力豊かに弾いてみよと忠告した。また「Find your own voice」(自分の声は自分だけのもの、自分そのものだ。それを見付け、恐れずにそれを表現せよ)と教えた。悟平は何よりもこの個性を指摘されたのが印象的だったという。

先生から帰国前にアリスタリーホール(1千人収容の全米屈指の演奏会場)で演奏会をしてみないかと誘われた。しかし、自信がないので断ると、先生は自らの経験を述べて翻意を促した。ついに意を決してやることにし、当日、舞台袖で待機していると、舞台裏のスタッフが、悟平に「エンジョイ(楽しんで)」と言った。一瞬意味が解らず、怪訝な顔をしていると、「演奏者のあなたがエンジョイしなくちゃ、お客さんはエンジョイしないわよ」と言われた。日本なら「頑張って」というところだが、アメリカの感覚は違うのだと気付かされた。

結果は大成功だった。二か月前まで和菓子売り場で頭巾を被って饅頭を売っていた悟平が、今、ニューヨークの檜舞台で千人もの外国人の前で演奏する、狐につままれたような気分だった。この成功は早速、カーネギーホールでデビューする話に発展した。が、和菓子屋の店員である悟平は一旦帰国し、店長に相談、寂しくなるねと言われながらも背中を押され、二度目のニューヨーク生活が始まった。

ついに憧れのカーネギーの大ホールに立った。3千人以上もの大観衆が彼に大喝采を送った。その裏には並々ならぬ努力があった。練習時間は毎日、夜から明け方まで7,8時間、日中はちゃんとした英語を身に付けるために大学に通った。

ある時、日本から選り抜きの音楽生たちが、ジュリアード音楽院の教授たちのレッスンを受けにきた。悟平が通訳した。悟平が逆立ちしても叶わない抜群のキレ味とシャープなテクニックで難曲を弾きこなすと、教授は「素晴らしいテクニックだ。だけど君は何を伝えたいのだ」とメッセージ性の欠如を指摘し、「日本人の多くはテクニックがすごくて傷一つない美しい演奏する人が大勢いる。でも「too clean, too boring」(あまりにクリーン過ぎて退屈すぎる)といったという。そういう意味ではこの悟平のピアノにはなにがしかのユニーク性とメッセージ性がこもっている。それがニューヨーク在住のアメリカ人には受けるのに対しニューヨーク在住の日本人には受けない理由となるらしい。

このあたりから悟平はプロになることの厳しさをひしひしと感じ始めた。ケチョンケチョンに言われて当たり前の世界に来たと実感した。と同時に強烈な心身の緊張が訪れ始めた。ここから彼のどん底の苦しみが始まった。

普段の生活では何の問題もないのにピアノに向かうと手がひきつり、指が手の内側に意思とは関係なく曲がってしまう。医者にジストニア(中枢神経系の障害による運動障害)と診断された。どこに現われるか分からないが、悟平の場合はピアニストの生命線である指に出た。「もう一生再起不能です」と医者に宣告され、もうお先真っ暗。絶望的になり手首を切ろうとしたが、あまりの痛さに死に損ないをした。

催眠療法を取り入れ諦めずにリハビリに励むうちに五本指だけが動くようになった。再起不能と言われた悟平にまた明かりが射し始めた。この指でピアノの殿堂、スタインウエイホールに初出演すると、それはたちまちニューヨーク市長公邸にまで伝わり、そこで

インポシブルをポシブルにした男としてもてはやされるところとなった。それがやがてロスチャイルド家の知るところとなって行ったのである。

詳しくは2015年4月30日発行の西川悟平の自伝「七本指のピアニスト」(朝日新聞出版)を参照して頂きたい。以下省略。

2017年10月12日   The Music Center Japan

専務取締役  中西隆夫

TMCJ URL: www.tmcj.jp/

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