2017年8月11日 (金)
最近の英語ヒアリング

アメリカ国内放送で私がいつも聞いているのはNPR(National Public Radio)のHourly news(毎時の5分間ニュース)である。このところ北朝鮮のグアムに向けた4発の弾道ミサイル発射計画とそれに対するトランプ大統領の怒り警告でもちきりである。

 

例を挙げると次のようである。

As tensions with North Korea escalate, President Trump received briefing from his security advisers: North Korea threatened this week to fire weapons into the water just off the U.S. territory of Guam.(32語)

この英文の長さと構文は特別に複雑なものではない。これを分速300語で喋るアナウンサーなら5,6秒で喋る。だから、私の耳もそれぐらいの速さで解さなければならない。5分間ニュース全体ではこの文の50倍ぐらいになるから、それだけを理解することになる。

何も見ずに耳を澄ますだけでこの大意を掴まなければならない。それがどうして可能なのだろうか。言語学者のノーム・チョムスキーによれば、人間の脳にはそもそも生まれつき文法を解する能力が備わっている。何語においても同じで日本語の文法であれ英語の文法であれ文法の基本ルールが備わっているからこそどこの幼児でもその言葉が聞け話せるのだという。

われわれは無数のニューロン(神経細胞)をもっている。それは砂みたいなものである。浜辺で砂の城を作るようにニューロンという砂でいろんな物を作る。初めは1センチの小山を作るにも骨が折れた。砂を積んでは崩れまた積む、その繰り返しであった。次第に形をなした山となり、やがてその上に何層もの山を積んで城となる。はじめからそのような城の設計図があるわけではない。試行錯誤を繰り返し、繰り返ししている中に、砂が定着する。Northという単語も一粒の砂ならKoreaもそうである。その二粒がいつも繋がって出てくると脳はそれを一つのセットとして扱うようになる。PresidentとTrumpの関係も同じである。

最初のasも一つの砂だが、これがここに出てくると、いずれ後にそれを受ける砂が出てくると予感させる。Asなど弱く発音され、聞きもらすほどだが、鍛えているうちによく聞こえ、その意味も無意識に覚ってくる。日本語で”しかし”の意味の「が」は弱い発音だが、それを聞くと、その後に何か反対のことが出てくると予感させるのと同じである。

このような文構造が理解できるのは何と言ってもアナウンサーの抑揚とリズムである。波打つような調べである。きちんと止まるところ、全然止まらないところ、その中間体が声の強弱とともにあるから文を脳の中で分節できるのである。これはヒアリングだからこそできる技で文を一人で読んでいる限り、それができないから文意も取れないし、取れても時間が掛る。なれてくればヒアリングの方が読むよりもよく意味がとれるようになる。

以上のようなことは意識でできることではない。無意識がひとりでにやってくれることで、その世話にならずしてヒアリングなどできたものではない。

しかし、無尽蔵にあるはずの無意識でも一瞬にして何事も同時にやれるものではない。

炭鉱夫を思い出す。目の前の固い岩盤(これから読もうとする文)を見詰めてつるはしを下し(無意識で処理し)、削った岩(読み込んだ文)をトロッコに乗せ(短期記憶して)、たまり場(文意記憶場所)に運んで積み上げる(全体の大意をとる)、この作業の全てを一瞬にこなさなければならない。つまり採集(読み取り)と加工(意味検索)と保存(意味保存)を瞬時に行われなければならない。

しかし毎日訓練を重ねるうちに微分的歩みだが、すべての行為がより少ない時間でできるようになる。

ここでおもしろい現象がある。それは月一回びっくりするほどよく解る日があることである。満月の頃だ。月の満ち欠けが引力に関係し人の生理に影響を与えるように、この満月の時は一番引力が高まるので75パーセントも水でできている人間の身体はその影響を受け、この日ばかりはいつもより脳への血液のめぐりがよくなるからだと考えている。いままで水を被ったことのない砂がこの日ばかりは水漬けとなり、それ以後、それも城作りに参加する砂となるみたいである。

ここまでヒアリングが続けられたのはこの月一回のジャンプがあったからで、これが楽しみでやってきた。今までぼやっとして焦点が合わなかったものが、こうして徐々にはっきりとしてくる過程は本当に楽しみなものである。

(2017.8.11)

2017年8月9日 (水)
齢と脳

齢と脳

齢も80を過ぎると、いよいよ「自分らしさ」を追求したくなる。One and onlyの世界である。

人間には二つとして同じ顔がないように人はみなそもそも唯一無二なものだが、生き方をベースに考えると、そこには類型があり、必ずしも唯一無二とは言い難い。今日も世界陸上の模様をテレビで観戦していて、勝負を争う選手の生き方に相違があるとは思えなかった。

それでは、人がその人らしく、他人と違った生き方をしているとはどういうことか。それはその人の脳に刻まれた痕跡、形跡が他人のそれと違っていることだ。

人は生まれ落ちた瞬間からそれ以来、休むことなくどの瞬間も脳を使わずに生きてはおられない。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、人の言動は生後から現今まですべて脳の支配するところであり、その形跡は記憶され、よく使う脳の部位はよく発達し、強化され、使わない部位は未発達のままで残る。

私は人をざっくりと動詞型、名詞型、形容詞型の三種類に分類する。動詞型は行動派、名詞型は知性派、形容詞型は感性派で、だれでもこれらのすべての要素を大なり小なり持ち合わせているが、とくにその人の目立った部分で色分けしている。動詞型の典型はスポーツマン、名詞型のそれは学者、研究者、形容詞型のそれは芸術家といった具合である。

人がどうして今の職業についたか、それはその人の脳に訊けば解る。幼少の頃からの色々な生活体験が脳に刻まれており、それが得手ないし無難と思われた職業を選ばせたのである。そしてその職業に付くことにより、いよいよその方面の脳部位が発達し強化された。反面、少しも使わない部位は未発達のまま残された。

 

ここで私の場合を取り上げてみる。明らかに形容詞型である。

私の幼少時を辿ると同居していた祖父が表具師だったため物心ついたときから書画骨董を身近で無意識ながら見てきた。無意識ではあるがそれにより私の視覚神経部位が幼少の割には発達していたかも知れない。それがいうところの三つ子の魂となり、発芽となってそれ以後どの年齢においても美術に対する関心はあり、それが強まり今日に至って絵を描いている。

また父が私の幼少の頃からこれからは英語が大切と説いたことから英語好きになり、学生時代を通じ、また社会人になってからも英語を鍛えたが、それらはすべて私の言語中枢を発達させ強化させた。

美術や英語が好きになったのはこのような次第である。

そこに新しく加わったのが音楽である。

結婚するまで私の生活環境に特段、音楽に言及するほどのことはなかった。これまた脳のよく知るところで、この聴覚神経が発達していたとは到底思われない。

しかし、妻が音楽に特化した女性だったため、次第に音楽に目覚めた。しかし、それは三十歳半ばからで、運動神経が未発達な私に、運動神経のいる楽器を扱うことは不向きと断じ、できるのは音楽鑑賞だった。とくに定年前後からはクラシック音楽を中心に聴いてきた。自前で音楽ホールを作ったこともあり、このホールや他の場所で催したコンサートも今や500回以上を数え、常に演奏家の生の音に接してきた。これが私の聴覚神経を異常に発達させたことは間違いない。

話が少し元に戻るが、私の英語好きの特長は、リスニングにある。51歳から始めたアメリカ国内放送の聴き取りである。まだ聴き取れたとは言い難い。が、間違いなくその聴覚開発途上にあり、これからが楽しみな領域に入った。

 

世の中には美術の専門家も音楽の専門家も英語の専門家も沢山いる。その人たちにとって、それはその専門領域であり、たやすく他人が追随できるところではない。英語の場合は少し違う。ことは読み書きではなくリスニングである。中でも米国の国内放送が聞けるリスニングである。例外はあるとしても帰国子女でなければできる技ではないと思う。

80を回った私の「自分らしさ」をいよいよ磨いて行くためには、以上の三つ、絵描き、クラシック音楽鑑賞、英語リスニングの総合である。音楽の聴覚野と英語の聴覚野、これらは脳部位でも近くに居合わせ何らかの相互作用があるはずである。また絵画の視覚野も音楽の聴覚野と視聴覚として底辺で繋がっているかも知れない。

これからの脳活性化が精神的、肉体的若さ保持の秘訣である。

(2017.8.9)

2017年7月28日 (金)
英語学習について

昨日の毎日新聞の夕刊(2017.7.27)社会欄に、<「小学英語、役立つ」中一の半数のみ>、と、小学英語が役立っていない現状を訴える記事があった。

小学英語では「聞く」「話す」に重点を置くが、中学英語では依然として「文法」や「熟語の暗記」に重点が置かれ、そこにギャップがあるからだとしている。

文科省が小学校から大学まで一貫した英語学習の充実を目指す中、現状では学習のつながりができていないというのだ。

もうこのような記事を読むと本当にうんざりする。昔から毎回毎回同じ繰り言ばかり繰返していて何の進歩もない。それは少しも言語の発達と脳の発達の関係が論じられていないからだ。

聴覚心理音声学者のアルフレッド・トマティス博士が、その著、「人間はみな語学の天才である」(アルク社、1993年)の序章で次のようにいっている。

「外国語を教えるべき専門家たちの聴覚のメカニズムに対する関心の低さにはいつも驚かされる。-中略―聴覚器官のことを棚上げにしたまま、言語学習について論じることなどできるだろうか」と。私は大いに同意する。

この本で、「母語以外の言語を学習すると、神経組織や筋肉組織が次第にその新しい言語に特有の形をとりはじめる」と説く。「耳は、母語、外国語を問わず、言語の学習においてもっとも重要な役割をはたす。言語学習に関心をもつ人は、だれもこのことを避けて通ることはできない。言語を習得するということは、-中略―母語であれ外国語であれ、そのメカニズムは結局のところ同じである。言語の習得が、耳を通して行われることには疑問の余地はない。たとえ文章や画像などの助けを借りるにしても、耳による習得が本質であり、第一義である。言語は聞くこと、それも正しく聞くことによって学習されるのである。」という。

さらに続けて、

「聴覚器官も明らかに、練習を重ねることによって最終的に適応していく。しかし、そこまで到達するのにあまりにも時間がかかるので、その前にあきらめてしまうことが多いのだ。ただし、耳がきわめて柔軟であれば、水槽に浸るのにそれほど長い時間をかける必要はない。柔軟な耳はたちまちのうちに新しい言語の周波数に順応し、次々と現われる新しい「音の水槽」に適応していく」と。

「そして、この新しいアプローチは、胎内にいる時期を含めて幼児から九十歳のお年寄りにまで、だれにでも、母語以外の言語を習得する可能性が開かれていることについては、もはや反論、あるいは議論の余地すらない。四十歳を過ぎたらバイリンガルになることは不可能だ、などと昔からいわれてきたが、そのような説は根拠のないものである。」

その通りである。私自身が、五十一歳から米国の国内放送を毎日、数時間、三十年間聞き続けてこのトマティス博士説を実証した。

私の最初の十年間のヒアリング経験を、自費出版した「私の英語遍歴」で世に問うたが、八十一歳になった今、私の聴覚に確たる新たな進歩が生まれ始めた。

簡単に記すと次のとおりである。

この新たな聴覚とは何か、今までの聴覚とどこがどう違うのか、それには意味の「意」の字が示唆的である。この字は「音」の下に「心」と書く。上の「音」に意識が集中している間は下の「心」が見えない。しかし上の「音」が無意識に聞き取れてくると、下の「心」が見え始める。意識がそこにだけ働くからだ。ここでいう「心」とはスピーチの意味である。

従来の雑「音」に阻まれて見えなかった「意味」が「音」の解消により八十一歳から見えてきたのだ。長い長い過去三十年に亘る成果がやっと今見え始めてきた。後何年掛るか分からないが、次第に意味がはっきりしてくるだろうことだけは確かである。まさに私のライフワークである。

譬えてみればそれは画像処理に似ている。画像全体が攪乱的な音素に占められ、ただぼうっとした灰色画面時代から、徐々に何らかの形を結び、ぼやっとながら無形体の何かが見えてきた。まだまだピンボケだが、いずれ焦点が合った、はっきりした像を描くに違いない。それが物凄く楽しみである。くわしくその過程をいずれ書くつもりでいる。

八十一歳ともなると聴覚が弱まり、母語の日本語ですら聞き取りにくくなってきた。テレビも音量を上げないとニュースさえ聴き取りにくいし、家族と話していても何回も聞き直すことが多くなった。

しかしそれでもアメリカの国内放送がこれから先、意味として情報として聴き取れるのは物凄く楽しみなことである。

三十年前と違いITが発達した今日、十歳から二十歳に掛けて十年間毎日一時間、生の英語を聞き続けたら必ずや英語がものになることはこの年寄りが請け負う。ただし途中で決して諦めてはならない。諦めなければ若い聴覚神経は「音の水槽」に必ずや適応していくだろう。

(2017.7.28)

2017年7月13日 (木)
私と英語

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私と英語

 

私に一つだけ自慢話が許されるなら、それは英語の学習だろう。それとの付き合いはもう80年にもなる。まだこれからも続くだろう。

昭和11年生まれの私が物心のついた三、四歳ごろ、世の中は戦雲急を告げ出し、日本男児たるもの、西洋文明に汚されてはならじと横文字(=アルファベット)使用は一切禁止されていた。学校の音楽の授業でも横文字のドミソはご法度、ハホトで習ったぐらいだから、町で横文字を見かけることは一切なかった。

そんな時代に、父のアルバムを見ると写真とともに変な字の横長い文があった。それが英語だった。昭和のはじめ父が高商(今の大学)の夏休みにシアトルに一か月ばかり旅した時の思い出の写真と文だった。

この印象がよほど強烈だったのだろう。爾来、横文字が脳裏から離れなくなってしまった。またある時、納屋を覗いたら叔父が残したアルファベットの小さな判子が見つかりそれらを並べて遊んだ。もしそんな光景が見つかったらどんな目にあっていただろう。

それが4,5年ででんぐり返った。戦争に敗けたのである。そこで一夜にして横文字が踊り出た。私の小学4年生の時だ。横文字などかつて目にしたことのない子どもとそれをすでに知っていても使えなかった子どもの差は大きかった。戦後、英語の嫌いな子どもは沢山いたが、英語の好きな子どもは稀だったのは当然かも知れない。

こうして幼少の頃から横文字(=英語)に強く惹かれた私は学生時代を通じて英語が好きだったし、勉強もよくした。お蔭で、入試で難しかった英語も突破して商社に就職した。入社後は40歳になるまでにロサンゼルスやシドニーに通算7年駐在し、英語のできる強みと有難味をある程度味わった。読み書きは日常業務で使わざるを得ないから自然と慣れ親しんだが、こと話す、聞くに関しては日本人駐在員が多い上、家族とは当然日本語で話すから、英語を用いる局面は少なく、上達したという実感はなかった。海外生活をしたといっても現地人に交じって一人で暮らすわけではないから、ずっと日本で暮らすのと大差なかった。その意味でここまでは特筆するようなことは何もない。

 

英語に対する姿勢が変わったのは47歳で赴任したニューヨ-ク駐在以後である。

駐在直後に会社の命令でハーバード・ビジネス・スクールの夏期セミナーに二週間参加した。缶詰になって毎日百数十ページの英文を読まされたのはまだしも、128人の社会人学生中、唯一の日本人学生である私にとって、普通にしゃべる教授や学生の米語が少しも解らない、手も足も出ない悔しさに泣いた。この時ほど惨めなことはなかった。

 

この時に思った。一体、今までのオレの英語学習は何だったのか、およそ使い物にならないではないか、英語に関してはかなり自信のあったオレではないか、これでいいのか、これからどうする、だった。

 

そこで帰国後51歳からFEN(今のAFN)放送の聴き取りを始めた。今はこの放送もネットを通じていつ何時でも聞けるが、30年前はそうはいかなかった。FEN一局だけが聞けるカードラジオを買ってきたり、ウオークマンが出来てからは留守中に録音した放送を聞いたりと一筋縄ではいかなかったが、62歳の定年になるまで毎日3時間、10年間に亘って聞き続けた。そして定年後も不定期ながら20年間聴き続けた。

 

その甲斐あって、この81歳の誕生日頃から聴感覚が大きく変化してきた。 iPadを耳に当てるとアメリカの国内放送が自然と理解でき「始めてきた」のである。「」を付けたところが重要で、すべてが解るわけではないが、今は加速度をもってきているから、あと2年もすれば大半が解りそうな予感がする。

以前、定年退職時(1997年6月)に自費出版した「私の英語遍歴」でその経過体験をまとめたが、それからまた20年が経った。

何事も5,000時間を掛ければ「ひとかど」になれると将棋の名人、米長邦雄が言ったが、その倍の10,000時間を掛ければ、50歳からでも何事もモノになる証しができたと考えている。0.0001も1万掛ければ1になる。それを0.00と考えるからモノにならない。人間の脳は生まれ落ちた時は柔らかくスポンジのようでも50歳も回れば石のように硬くなる。しかし、それを毎日毎日3時間同じ音で叩いて叩いて柔らかくすればその部分は加工できるようになる。

これを実証したことが私の自慢である。

(2017.7.12)

ここ数日、久しぶりに西川悟平君に会っていろいろと懐かしい思い出話をした。

 

彼のタブレットから聞こえてくる彼の生の英語はもう現地人が話すのと何ら変わらない。24歳から18年間、滞米して身に付けたものだが、長くいたからといって誰もが出来る技ではない。彼の器用さに驚くほかない。ほとんど英語の喋れなかった彼、その彼が、ピアノ同様英語も完全に征服してしまったのだ。

 

20年ほど前、彼がアメリカに行く前に私が自費出版した本に「私の英語遍歴」というのがあり、それを彼に一冊贈った。当時彼はそれを何回も読んでくれたらしく、昨夜いうに「ボク、よう覚えてます。あの本の中に、こんなことが書いてありましたね。英語放送を聞いて40パーセント解るとか60パーセント解るという人がいる。が、それはおかしい、100パーセント解ってはじめて40とか60と言えるのであって論理矛盾だと。よく覚えてるでしょう」というのだ。いやよく覚えてくれていると感心すると同時にこの本も少しは彼の役に立ったのかと嬉しくなった。

話し変わるが、ピアニストの彼がピアニストとして命取りのジストニアになって指が動かなくなった。懸命のリハビリを繰り返し、もうほとんど治らないと見做され、見放された指が七本だけ動くようになった。彼はこの七本の指だけで十本分の動きをしようと鍵盤の上で腕のアクロバットを演じる。だれも経験したことのない不可能を可能にした彼だけの、あるいは彼ならではの演奏である。これは不自由を味わった者だけの特権のような自由である。それがどのようなものかは他人は想像する他ない。

 

実はこれが私の英語放送リスニングにあてはまるのだ。私はアメリカの国内放送であるNPR(National Public Radio)を51歳から聞き始め、今の81歳になるまで30年間聞き続けた。その甲斐あって、今年の3月の誕生日ごろから聞くだけで放送の大意が掴めるようになった。いよいよこれからが楽しみである。

 

何事も一万時間かければものになる。0、0001も一万掛ければ1になるが、0,0001を0と見なすから物事が成就しない。悟平君との話から思わず以上のようなことを考えていた。

 

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昨日(2016.9.13)は曇り空の下、数十年ぶりに倉敷の大原美術館を訪れた。仲間は高校同期八人(80歳)で、誕生したばかりの趣味同好会「アートにふれる会」の元気者ばかりだった。前回行ったのは現役時代、まだ自ら絵筆を握っていなかった時代だから、今回の絵の見方とは違った。

今回はゆっくり気が行くまで各展示画を堪能した。ある学者によると、一般的な日本人の絵の見方は解説読みに平均一分、実画を観るのは平均10秒という。今回、私は一切解説を読まず、その時間を実画鑑賞に当てた。観るなりアピールしてくる絵もあれば、見入っているうちにじんわりと良さが上ってくるのもある。どうして観るなりアピールしたのか、

この中央の黒い太線だ、この左下の赤い布だと少しずつ詮索している中に絵の全貌がまったく違う形で迫ってきた。明治、大正期、まだカメラもない時代に、どうして舞台裏の踊り子をこのように生き生きと描けたのか。その場で写生ができたはずもないのになどと愚考した。今の世は写真で溢れかえっているが少しもリアリティがない。絵やスケッチこそにリアリティが潜んでいる。

前回観たときはエル・グレコの「受胎告知」が高いところから大きく吊るしてあったように記憶するが、今回の場所で見るとそれほどでもなかった。好きな絵は色々あったが、特に見入ったのはモジリアーニと佐伯祐三の絵だった。

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昨日(2016.6.30)はディヴィッドの提案で姫路城とその西北にある書写山に行きました。曇り空で少しぱらつくこともありましたが、暑くも寒くもなく絶好のハイキングびよりでした。最低4時間は歩きました。白鷺城の急な階段もものかは若いディヴィッドに負けず6階の天守閣まで登りました。昔の城を知っている者としてはちょっと白過ぎて一瞬戸惑いました。

天を突く  白い裃姿の白鷺城   ちょっと青白く   威厳が薄れられたが   お若くおわした

Himeji castle  Dressed in  White ceremonial kamisimo  Looks pale and less dignified  But younger than before

黒田官兵衛ゆかりの書写山は白鷺城よりもっと魅力的でした。西の比叡山という感じで、千年前の日本に戻ったようでした。もう今の私たち日本人は西欧人と同じ目でしか物が眺められないのでしょうか。こんな古刹に来ると昔の血が騒ぎます。千手観音が居並ぶ林を2時間ほど歩き、写真自由というところでは陳列物を次々に撮りました。インドや中国がそこにありました。今、欧米がそこにあるのと同じ感覚でしょうか。

黒田官兵衛ゆかりの   書写山   もやった森林に  黒餡のような古刹   まるで草餅にいる気分

Kanbei related   Historical Shoshazan is   As in kusamochi dotted   With some old dark temples   In a hazy forest atmosphere

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今日(2016.6.26)は西宮の芸術文化センター小ホールでジャン=ギアン・ケラス&フレンズの珍しいコンサートを聴いた。タイトルは「地中海の風」、(ペルシャ、ギリシャの音楽、チェロと民族楽器が出会う時)とある。舞台に登場したマスクはどれもこれも西欧のそれではない。黒い顎鬚などを見ているとギリシャ正教の司祭かユダヤ教のラビに思えてくる。チェロが静かに、静かに語り出した。哀愁を帯びている。まるでか細い尺八だ。アルプス以北の音楽に慣れた耳には、これが本当に地中海音楽なのかと怪訝に思うぐらいだ。次はライア。古代ギリシャの神々に発するこの楽器は音こそ小さいが、この音が醸す、ホール全体を覆うような宇宙的雰囲気はギリシャの神々を包み込むように典雅だ。次はイランの太鼓のザルブとダフ。二人の奏者が両手10指を小動物のように動かして、しなやかに小気味よくリズミカルに撫で、つつき、叩く。古代ギリシャ文化がヘレニズムで東方の古代ペルシャ文化と融合し、また後にビザンチン文化となってアラブイスラム文化と融合したことを思うとき、この地中海の風は興味津々、最後の方の演奏ではベリーダンスを見ながらアラビアンナイトの一夜を過ごしている気分になって、実に楽しかった。

2016年5月9日 (月)
英語ってね

英語ってね…

 

私がかつて海外に駐在したと他人にいうと、「それではもう英語はペラペラでしょうね」とか「映画など字幕を見なくても分かるのでしょうね。羨ましいなぁ」などと感想を漏らされ、「いや、その…それがうまくいかなくて、…」と一瞬返答に窮していると、「またまたご謙遜を」とくる。他人からそういわれて悪い気はしないから、「まぁね」と分かったふりをするのは簡単だが、事態はもう少し深刻である。残念ながら、映画などいくら海外にいても少しも分からないからである。同じ海外でもだれ一人日本人がいないようなところで四六時中、英米人に混ざって10年も生活したのなら別だが、日本をそのまま現地に持ち込んだような環境で現地の映画を見ても分かるはずがない。だから正直にいえば、「それがうまくいかなくて…」の方が正解だが、「分かる」といいたくなるのも人情である。10年も海外にいて少しも分からないというのではあまりにも自分が可哀想すぎる。だから「分かる」といいたい気持ちと「分からない」という実感をないまぜにした適当な返事でその場を濁すことになってしまう。よく知っている、たとえば会社の同僚、または得意先といつもの話題をいつものとおりやっている限りは問題のない口語英語も、映画となると同じようにいかないものである。

だから米語放送(AFN、アメリカンフォーシスネットワーク)の一つも聴いて耳を慣らせばそのうちに映画も字幕無しで楽しめるだろう始めた英語放送聴きだった、それがそう簡単に問屋が卸さなかった。実際、その英語放送を耳にした人なら分かるとおり、それは音の洪水以外の何ものでもない、こんなものを10年間も聴き続ける人の気が知れないと思われるのも当然で、それを長々とやってきた私は自分でも相当おめでたく出来上がっていると思う。どうして10年間もやってこられたのか。それは、最初はこれほど長くかかると思わなかったからということと、それでいて4,5年はかかると覚悟していたからである。海外に帯同した日本生まれのこどもが現地校に溶け込むのに4年はかかると聞くし、実際我が子を二年半現地校に行かせた経験からもその程度でものにならないことを知っていたから、4,5年はかかるとみていた。もし初めから10年もかかると知っていたらやらなかったかも知れないし、4,5年の覚悟がなければ途中で諦めていたと思う。51歳も回ってからのいわば修行だったが、それでも年齢を超えて聴覚的進歩が毎月確認できてきたので、これを重ねていけばいつか必ず聞ける日がくると確信し、途中で投げ出すこともなくここまでやってきた。

英語はやればやるほど難しいことが分かってくる。このAFNに出会う前は主にリーディングをやっていたが、英字新聞ならまだしも雑誌TIMEともなると、なかなかおいそれと読めなかった。それでも何とかしてそれをスラスラ読みたい、そして、できればAFNも聴きたい。そんなことを考えている時、「TIMEが読めればAFNも聴ける」を何かで読み、なるほど「読んで分からないもの、聴いても分からないか!この貧弱な読解力を解消しないで、AFNを聴くのは厚かまし過ぎるか」と、TIME読みに精を出したが、目立った効果はなかった。当時から「聴く」のは「読む」より難しいことが分かっていたから、読む力がつけば聴く力も自ずとつくと単純に考えていた。しかし今考えるとそれは間違い、かりに読む力がついてもそれが聴く力につながったとは思えない。読む力がどんなに速くてもオンライン的に意味処理しなければならない聴く力にははるかに及ばない。オンライン的に意味処理しなければならない聞く力はオフライン的に意味処理をしてもよい読む力に比べ余程強烈である。「大は小を兼ねる」と同じで「速は遅を兼ねる」だから、実は前提が逆で、「AFNが聞ければTIME」も読める」でなければならない。実際に私の経験ではAFNはまだ聴き取れなくても、TIMEは目立ってよく読めるようになった。これだけでもAFNリスニングをやった甲斐があったというものだった。これを裏返していうと「聞けもしないで、よく読めること」となる。やはり読む場合も聴く場合と同じくオンライン的に味わってはじめて本物といえそうである。何もこむずかしく考える必要はない。日本語だってそうだ。テレビの解説が聞けなくて新聞の解説が読めるというのは少し不自然である。

翻って考えてみると、AFNなど本来私に聞けるようなものではない。AFNは他国人の母語だからで、われわれの日本語もそう易々と他国の人を寄せ付けないように、英米人の英語もわれわれ日本人をそう易々に寄せ付けない。母語は本来そのコミュニティー内で使われる言葉であって、その一員として生まれてはじめて身に着くもので、コミュニティー以外の者が近付こうとしてもそう簡単にいかないものである。テレビにラジオ、映画などのマス・メディアも基本的に母国人を対象にした母語世界のものであり、外国人の私に分かるはずのないものだが、そうとも知らずにやってきた。理屈で考えればそう易々とできるはずのないものを、知らぬが仏でやってきたともいえる。実際、今だからこそ覚めた言い方をしているが、最初は読む力がつけば聞けるものと勘違いし、フランス語でなく英語である限り聴けると錯覚していたようである。しかし、そう勘違いしたからこそここまでやってこられたので、他人の母語など聞けるわけがないと頭から判断していたら、やろうとすらしなかったかも知れない。

このような私の実体験からすると、巷に溢れる「楽に」「楽しく」「短い期間で」達成できる英会話など信じられず、その安直さを嘆かずにおられない。誇大広告で無節操というものである。

一つだけ例を挙げると、もう昔の出版物に『放送英語』という大学教授が書いた本がある。それはニュース英語聴解のための学習法を述べたもので、次のようにある。

テープから流れ出るアナウンサーの英語をそのまま声を出して、最後まで追いかけていく方法、つまりアナウンサーの声に密着し、「重ね読み」していく方法です。そのためには、英語の音声に全神経を集中し、一瞬のためらいも許されません。初めのうちは速い英語の流れ(Stream of Speech)に取り残され、follow upすることは困難でしょう。しかし、誰でも毎日二十分ぐらい、一週間も継続的に実行すれば、口ごもることなく、スラスラと英語が口をついてでるようになります。…

私はこれらの宣伝が語学を本当に愛し熱心に真摯にやろうとする人たちを欺いたり、意気消沈させないことを祈らずにはおられない。語学下手で定評のある日本人、アジアの中でも最悪の部類に入るといわれるわれわれ日本人はもっと語学に対し謙虚な根性を据えて取り組むべきでないだろうか。

私は自分の英語体験記である「私の英語遍歴」という本を自費出版した。(1997年4月、ご希望者はこのホームページでお申込みください)それを手にした友人の英語研究者がいうに、「この本は売れない。良書過ぎる。本当のことを書いたのではダメ、簡単にできるように書かなければ売れないから出版社が嫌がる。書き直しを迫ってくる」というのである。この本もおそらく大学教授がこのように書いたとも思われない。おそらく出版社が大水増しをやらかしたのではないかと思っている。

(2005.3.22)

私はこうして英語を

身につけた

私が英語を学び出してから55年が経つ。一口に英語と言っても切口は多い。私の場合、時事英語が主流で、新聞、雑誌、放送といったマスコミ英語といってよい。仕事としてではないが、ほとんど毎日この種の英語に触れ、少しでも多く、早く、正確に読み聞きしたいと思って続けてきた。長い過程の割には、一向に進まない願望だが、五十歳過ぎからやり出したAFNリスニングが最近、大きく功を奏しはじめた。今日は「私はこうして英語を身につけた」話をしよう。(添付図参照)

私たち日本人は伝統的に英語を目から活字を通じて学んできた。が、その土台となるべき本来の音を耳から学んでこなかった。英米人が目から母国語を学ぶとき、すでに耳には強固な音の土台が出来上がっている。音土台の無いまま活字だけで言葉を学ぶのは不自然だ。活字は、本来、生の音を保存するために発明された、いわば音のベール、いやフロシキだろう。そのフロシキを何個も横一列に並べたのがテキスト。フロシキとフロシキの間に隙間があって便利だが、このフロシキを解いたらどうなるか。飛び出してくるのは裸の音だけ。戸惑いし、なすすべを知らない。放送なら、確実に音の濁流が耳を襲う。しかし、これこそが英語本来の音だと悟らなければならない。私は五十一歳のとき、この禁断のフロシキを解いた。以後、今日まで十六年間、フロシキを解いたままだが、最近、それが整然とした意味音に変わってきた。フロシキに包んだ音を目にするよりも生の音を耳にした方が自然になってきたし、読むよりも聞く方が少なくとも部分的には楽になってきた。

四十歳代までの私の英語はフロシキ英語だった。視覚に訴えるだけの活字英語だったが、脱フロシキ化過程を経て、六十七歳で脱フロシキ英語となった。今や視聴覚とも働かせる英語になった。脱フロシキ化過程を通じてフロシキ英語の読みも早まった。これでかつての願望も一段と進んだ。

脱フロシキ化過程はホップ・ステップ・ジャンプの16メートル(十六年)のようだった。日本語音に慣れ切った耳に異質な英語音を定着させるのに5メートル(五年)、辞書的、文法的に英語の意味を英語のまま理解するのに5メートル(五年)、文頭から文末まで発語順に統語的、話題的に意味総括するのに6メートル(六年)がかかった。

これらの多くの処理を意識的にすることは不可能である。私たちの意識(=注意)は実に脆い。電話番号を覚えるのにも一苦労する。そんな脆い意識(注意)でいくらがんばってみても言葉は覚えられない。言葉はほとんどすべて無意識のうちに処理されなければならない。無意識は無尽蔵である。発音、意味、他の単語との意味連合などすべて無意識がやってくれる。言葉は人類の特権だけに無意識内でよく発達している。そこではむしろフロシキは邪魔だ。生の音だからこそ処理できる機能が備わっている。肝心なことはこの機能がフルに使えるようになるまで神経回路を発達させることだ。時間はかかるが、その結果、注意(=意識)の対象が話題の大意など、本来知りたいことに絞られたとき、言葉の処理は完結する。この方向に向かって今も進歩を続けている。「読めれば聞ける」の逆で、「聞ければ読める」が私の実践哲学である。(2003.4)