2019年2月7日 (木)
マンハッタンとの対話

昨日、書斎を整理していると、22年前に書いたエッセー類が見つかった。その一つを掲げてみた。

マンハッタンとの対話

 

ミルバーン・ホテルの三百九号室で今朝目覚めたのはまだ暗い五時半頃だった。隣のベッドではN君がまだ気持ちよさそうに眠っている。外の音がする。ガタガタとトラックが走り去る音がブロードウエィの方から聞こえ、犬の吠える声がする。人の声も聞こえたようだ。昨日、ノースウエスト機で十一年ぶりに訪れたニューヨークは私の頭の中で徐々にそのかたちを作り出そうとしている。今、泊まっているこの西七十六丁目からセントラル・パークを横切って東側に出ればかつて住んだ東七十三丁目や東八十四丁目に出られる。そのあたりは今どうなっているのだろうか。セントラル・パークの落ち葉はもう盛りを過ぎたのだろうか。そんな想いに耽りながら、もうベッドから起き上がっていた。六時十分服を着替え、そっと階下に降りて行った。

ホテルの玄関を出て東の空を仰ぐとまだほの暗く街灯の灯りの方が明るい。しかし、わずかに白みがかってきていて建物の黒いシルエットが美しい。晩秋の空気が肌をさし快い。早起きのアーリーバードたちが犬を連れてホテルの前を過ぎていく。一日の始まる朝の静かな息吹きが私はことのほか好きだ。四、五階建ての堅牢な石、またはコンクリートのアパートが舗道の両側に立ち並びいずれも同じような階段つきファセードを持っている。大きな西洋犬を連れた中年の男女が犬に引っ張られて黄褐色に染まった街路樹の下を勢いよく通り過ぎていく。セントラル・パークに入ると晩秋の風情がいっそう色濃く迫ってくる。手前の樹木も向こうの樹木もみな黄色というより赤褐色に染まり、その樹木の間を縫うように走る舗道を色んな人がジョッギングしている。週末のニューヨーク・マラソンを控えて色とりどりのウインドブレーカーが賑やかだ。パークの向こうに顔を出したプラザ・ホテルの建物や振り返ったときのダコタの城状建物が懐かしい。しかし、セントラル・パークって横切るのにこんなに時間がかかっただろうか。久しぶりの散策で遠回りもしているし、ちょろちょろ小走りに出てくる可愛いリスに見惚れもしているが、こんなに時間がかかるとは思わなかった。きっと日本の小公園に慣らされているからだろう。マンハッタンからセントラル・パークを失くしたらどんな都会になるのだろう。人工的な高層ビルで埋め尽くした都会だからこそ、こんな自然な大公園を真ん中に置いてバランスをとっているのだろうか。

そんなことを考えながらうろついている間に東八十四丁目のメトポリタン・ミュージアム横に出た。いよいよ懐かしい東側だ。すっかり明るくなった街を、車が、人がいく。幅広い舗道、頑丈な石の建物が威風堂々と並ぶ。かつて住んだ東八十四丁目の一番街と二番街の中間に位置するアパートを眺めてみる。いささかも変わっていない。はじめてニューヨークを旅する者ならこんなアパートにだれが住むのかと興味を抱くところだが、私にはそれがない。まぎれもなく私自身その住民だったからだ。いっかどニューヨーカーぶっていた頃の私の残影を私は今あらためてみた思いだ。よく歩いたサード・アベニュー、レキシントン・アベニュー、パーク・アベニュー、マディソン・アベニューを縫いながら東七十三丁目のかつての単身寮も眺めてみた。ここも一切変わっていない。堅牢な建物は外観から見る限りなんらの変化もない。くすんだチョコレート色のアパートはそのままだ。

ここまできたときふっと私の頭を過ぎるものがあった。それはもう一度ニューヨークという都会を私なりに定義してみたかったことだ。私はそれをDUEとした。Dはdiversity、Uはurbanity、Eはethnicity、つまり、雑多性、都会性、人種混在性だ。ニューヨークにはあらゆることの極端がある。道一つ隔てて違う文化が棲息している。美醜を越えた美がある。強いアクセントが存在する。私は同じ方向に群れたがる日本より一人一人の個性を重んじるこの街が好きだ。ニューヨークは真の都会だ。自然の美も美しいが石とガラスとコンクリートの人工美で構成した都会美こそここの生命だ。そして刺激的だ。ニューヨークは一切のまがい物を拒絶する。本物だけが生きる魅力ある街だ。そんな都会が私は好きだ。ニューヨークは人種のるつぼだ。あらゆる人種があらゆる文化の花を咲かす。ブロードウェイのあのくったくない黒人の歩き方を見よ。地下鉄の乗客を汚いとみるか、危険とみるか、それはみんなの勝手だが、私には人間と映る。強烈な個性を発散する人たちだ。こんな鏡に映したとき、どんなに日本人が精彩を欠くことか。色んな人種が愛するニューヨークを私も愛する。こんなニューヨークはこんな私を愛してくれるに違いない。

さて今日から始まる音楽の旅、リンカーン・センター、カーネギー・ホールが新たなるパンチとビートをわれわれに与えてくれることを祈りつつ。 (1997年11月14日)