2015年3月20日 (金)
人間と芸術

今日(3/20)は神戸国際会議場での市民公開講座、「人間と芸術」を聴きに行った。テーマが非常に興味深いものだったからだ。今日の講演とパネル・ディスカッションは三大学の先生方によった。三テーマとして、「芸術の起源と進化」「アートとは」「美術と解剖学ーレオナルド・ダ・ヴィンチから現代へ」が取り上げられた。絵画や書、音楽に関心を持つ私は「アートとは」に一番興味と関心を持った。

「アートとは」を論じた先生は次のようにいう。「アートとは作品そのものではなく、作品と私たち鑑賞者との間に立ち上がるコミュニケーション、その深遠で不思議な現象こそがアートだ」と。つまりアートは「作品」というモノでなく、作品とコミュニケーションするコト自体だというのである。その限りにおいては反対はない。が、それは必要条件であって、私が思うアートの十分条件を満たしていない。私がアートという以上はそこに何らか「美」がなければならない。アート、つまり芸術は「美」なくしては語れないと私は思う。「美」こそが私のいう十分条件である。いや、もっと正確に言えば、「美」こそが必要条件で、コミュニケーションの方は十分条件である。

私のいう「美」は、きれい、汚いの低次な美ではない。美醜を越えた美、高次元の美、真善美の美である。その美があるからこそ、その作品に惹かれるのであり、感動するのであり、感激するのである。魂が揺さぶられるのである。あるいはそれが、「深遠で不思議な現象」なのかもしれないが、「美」はもっと明示的であるべきだと思う。アートは作品そのモノではないとしても、そのモノの中に内在している美要素を無視するわけにはいかない。美意識を擽る中核概念だと思う。そうでなければ、作品というモノの評価価値は決まらないし、測る尺度がない。たとえばコンテストなどにおいて入選とか入賞とかの判断ができない。すでに定まった名画や名曲の鑑賞なら、美はアプリオリに与えられたものとして、コミュニケーションをしてもよいが、まだ評価の定まっていない作品を、どんな「美」基準で取り上げるか、その作品の中にそれを探るコミュニケーションこそ必要条件だと私は思う。