2015年5月1日 (金)
人間について

人間について

こんな途轍もない大きなテーマを私ごときが論じることは許されないだろうが、最近再読した本に強い感銘を受け、正確性は大いに欠くがその見解を私なりに咀嚼してみた。

いつも私が感じてきた一番の疑問は人間に関して科学者と宗教家の考えが交わらないことだ。科学者は自然宇宙に関してこれほどまでに一貫した真理を追究しているのに、こと人間の精神に関しては科学の埒外としてかかわろうとしないし、宗教家は宗教家で天地創造は神のみ業、万物に神が宿るといって、人間の魂は不滅だというが、これは科学的ではない。科学的でないからこそ宗教なのだといわれても一向にラチがあかない。

人間に意識があり思考力があるのは明明白白の事実である。聖書に、神は人間を自分に似せて造ったから精神も魂もある。だから他の動物や生物、いわんや鉱物と違って当然だというが、ほんとにそうだろうか。ほんとに人間だけは別格といえるのだろうか。精神、魂とまでは言わないまでもサルだって小さいながら脳を持っている。脳がある限り、少しは意識があるのではないか。犬でも猫でも魚でも脳はある。その程度に応じて意識があると言っていいのではないか。意識というものをどう定義するかによるが、本能も一種の意識と言えると思う。

進化論を辿っていくと人間はヒト科、正確なところは説明できないが、それは類人猿で、霊長類で、哺乳類で、さらには、爬虫類で、両棲類で、魚類で、脊索動物で、海綿類で、原生動物で、バクテリアだったと遡れる。つまり生命の誕生に行き着く。バクテリアまでくるともうほとんど鉱物結晶。ウイルスは鉱物か生物か。

この辺でぐるっと話を変えて地球の誕生や宇宙の誕生から今日を見てみよう。難しいことは解らないから要約も間違っているかも知れないが、ざっと次のような姿が見えてくる。

超新星か何か知らないけれど星が滅びるときには大爆発を起こすという。新星と書くから新しい星の誕生かと思ったら、そうではなく滅亡だという。その際、砕けた欠片、塵があちこちに飛び散って、やがてそれらが互いに引っ付き合ってまた星になる。銀河が出来、太陽系が出来、恒星が出来、そしてその一つに地球が出来た。球の形をした地球の中心は超高温度の火の玉。それが表面から段々に冷やされて行って水蒸気になり雨となり、ついには海になった。その海は下の溶岩から上の大気からいろんな元素が溶け込んで塩辛くなった。この中でやがて生命が誕生した。人間の母親の羊水もこの海水と同じ成分。生命は徐々に苔となり海藻となり、脊索動物となりして魚に成長してきた。海から出ると紫外線に射って生きられないから、オゾンの酸素で紫外線が遮られるまで生命は海中にあった。

元素は水素、ヘリウム、…窒素、炭素、酸素と色々あるが、それらの元素を素粒子レベルで見ると、どの元素も原子から成り立っていて、その原子は電子でできた原子核とその周りを回っている陽子、中性子でできているという。電子、陽子、中性子という極微世界になると、もうどの元素もみな一緒。違うのは素粒子の数だけという。元素が化合するということはイコール色んな元素の素粒子が色々に引っ付き合って分子を作る。水素、炭素、窒素…と組み合わされ無機や有機化合物ができ、それらがやがて細胞となり、単細胞から多細胞へと膨れ上がる。細胞も原子と同じで中心に核を持つ球からできている。

球、つまりボールは普通は外から見るだけだが、内もある。野球のボールにしろゴルフのボールにしろ内側つまり裏地がある。そこには弾力性に富むゴムがある。同じことで粒である原子や分子にも内側がある。内側から見たらどんな力が働いているのだろう。そこには電子と陽子でプラスマイナスの電気が働いている。今まで光は粒であると同時に波であると聞いてもピンとこなかったが、これで解った。光子は外から見れば粒だが、内から見れば波だったのだ。この内部作用をエネルギーと呼ぶなら、高分子も細胞もみな内部は波のようなプラスマイナスの電気エネルギーを帯びたものになる。この電気作用、エネルギーを意識と呼び、その電源を脳、配線を神経組織と呼ぶならあらゆる生命が意識を持つことになる。そういう意味では魚も意識を持つことになる。脳が大きく進化するほど電源が大きくなったと見做すとサルは相当大きな意識を持ったことになった。しかしそれでもそこには臨界点があった。それ以上進めない限界点があった。それを破ったのが人間だ。DNAではほとんど変わらないチンパンジーとヒトだが、大脳の容量は決定的に違う。利用可能な電気容量が決定的に違ってきた。それは何を物語るのか。

サルはモノを知っていても自分がモノを知っているとは知らない。人間は違う。単にモノを知っているだけでなく、自分を知っている。自分がモノを知っているということを知っている。つまり自覚している。外見は同じように見えても自覚はサルにはない。自覚こそ内面つまり内側の意識統一で、これこそが心または精神というものだろう。この心、精神は単なる本能ではなく思考力と言い換えることもできる。思考は、今、この瞬間に動くだけの本能でなく、時間的な過去、未来にも及ぶ。

結論として、人間の精神は宇宙に散乱するプラスマイナスの電気エネルギーが、宇宙誕生から今日に至るまで鉱物、生物、動物、人間の内側で一貫して流れてきた最終の姿と見えてくる。

三十歳台に買った本にテイヤール・ド・シャルダン(ベルギーの神父で古生物学者)の「現象としての人間」がある。難しくて途中で投げ出したが、最近、これを再読してまとめてみたものである。

(2015.5.1)