2015年7月15日 (水)
想い出のサンセットストリップ

写真 (58) ビバリヒルズに立つ筆者IMG_19251965年頃のサンセットストリップ

想い出のサンセット・ストリップ

7月12日(日)夜7時から11時までテレビ朝日で戦後昭和歌謡史4時間が放映された。

終戦時9歳だった私はこの歌謡史とともに世の中を歩んできたようなもの、歌は世に連れ、世は歌に連れ、を地で行ったようなものだった。偶々、この日の昼、知人と昭和39年前後の話をしていたので余計に懐かしい思いをした。昭和39年と言えば東京オリンピック開催の年、東海道新幹線が東京・新大阪間に開通した年としてよく知られているが、もう一つ、この年の4月1日から日本人の海外旅行完全自由化が実施されたことはそれほど知られていない。

実は私はこの年の5月業務渡航で初めてジェット機に乗り新たな勤務先ロサンゼルスへ向かった。齢28歳。当時日本で流行っていた歌謡はロサンゼルスにもすぐに上陸、あちこちで歌われていた。「上を向いて歩こう」「お座敷小唄」「愛して愛して愛しちゃったのよ」などが大流行した時代で、ハリウッド近くにある洗練されたサンセットストリップ通りの入り口近くにあったピアノバー「インペリアルガーデン」で駐在員仲間とグランド・ピアノを囲んではよく歌ったものだ。ここでピアノを弾いていたのはアメリカの文豪、ヘンリー・ミラーと結婚したホキ徳田だった。またサンセットストリップというと思い出すのは昭和35年から赴任の前年まで放映されていた「サンセット77」というアメリカのテレビ映画で、日曜日の夜ともなると、「セブンティ、セブン、サンセット、ストリップ」という軽快な音楽がテレビのシロクロの画面に流れてきた。ケネディ大統領が暗殺されたのもその頃。あんなきれいな瀟洒なところに駐在したいと願っていたら、うまい具合にそれが実現した。まことにラッキーだったというしかない。なにせあの頃、海外に行けたのは全国で年間17万人ほど、今の17百万人と比べべくもない。さてそのサンセットストリップに有名なプレイボーイ誌の新装ビルが出来上がったのが1966年の初め、私の30歳、まだ独身の時だった。大台乗りを祝ってくれたのがこのビルであり駐在員仲間だった。多くのバニーに囲まれてご満悦だったのもつい昨日のようだ。そのストリップを奥に進むと超有名なベバリーヒルズの超高級住宅地。日本から仕事で来るお客さんを案内するのがこの付近とディズニーランドだった。もう何回訪れたことだろう。当時からマリリン・モンローはじめロック・ハドソン、エルビス・プレスリーなど有名な俳優たちが鈴なりに住んでいた。今、手許に1965年当時のスターマップ(ベバリーヒルズに住む俳優の住所マップ)がある。これを眺めても非常に懐かしい。あれから月日は流れて来年には齢80となる。30歳を祝ったと同じ土地の同じ場所で80歳を迎えられたらなぁと今思案中である。