2015年2月7日 (土)
私と音楽ー音楽感想について

私の音楽感想について

リカルド・モヤーノのギターリサイタルを聴いて、私の個人的感想をこのホームページのActivities欄で書いた。そのためかなりの方々にお読み頂いたようだが、その素人っぽい感想の書き方について一言述べておきたい。

私は元商社マンで、音楽、特にクラシック音楽とはほとんど無縁の生活を送ってきた。それが約20年前に定年となり、以後、家内とともに音楽ホールを運営するうちにクラシック音楽に興味を覚え、演奏会を聴くたびにその感動、感激を感想の形で書くようになった。その書き方は無手勝流という他ない。

なにせ戦前に生まれ、戦中に育ったわが世代は「音楽など男のやるものではない」と仕込まれ、ピアノなど持てる家は周りに一軒もなかったし、国民学校(=小学校)では敵性言語(敵の言葉、英語など)の「ドレミファソラシ」はご法度、「イロハニホヘト」で習った口だからいまだに楽譜も読めないし、楽器といえばハーモニカを吹くのがやっとだった。

そんな何の演奏経験も何の音楽的知識もない私でも音楽を聴いて感動、感激していることには間違いなく、その感動、感激を感想または印象として書きたいのだが、その際に参考にするものがない。一時、幾つかのクラシック音楽の入門書などを漁ってみたりもしたが、そこには曲にまつわる知識が並べられていても私が求める曲を聴いての「感動や感激に対するいわば文学的描写表現」は少しもなかった。勢い無手勝流、つまり自己流感想にならざるをえないのだが、それでも味わってくださる方がいるし、後日(数年後)になって私自身が読み直して、その時の演奏会情景を思い出すよすがとなった。そのため、このような書き方を継続し、自分で音楽語彙を作っている。

その際、私の座右の書になっているただ一冊の本がある。 それは岡田暁生著「音楽の聴き方」(中公新書)2009年6月(第19回吉田秀和賞受賞、2010新書大賞第3位)その書の最後部、「おわりに」P208に次のようにある。

「他人の意見は気にしない。もちろん「聞く耳」を持つことにこしたことはない。だがいちいち「本当はどうだったのですか?」などと他人の顔色をうかがう必要はない。「誰がどう言おうと、自分はそのときそう感じた」――これこそがすべての出発点だ。」またP210には「音楽を言葉にすることを躊躇しない。そのためにも音楽を語る語彙を知ること。音楽を語ることは、音楽を聴くことと同じくらい面白い。」とある。これを私の金科玉条にして好き気ままに書いている。