2017年6月23日 (金)
英語とピアノ、不可能な可能の世界

ここ数日、久しぶりに西川悟平君に会っていろいろと懐かしい思い出話をした。

 

彼のタブレットから聞こえてくる彼の生の英語はもう現地人が話すのと何ら変わらない。24歳から18年間、滞米して身に付けたものだが、長くいたからといって誰もが出来る技ではない。彼の器用さに驚くほかない。ほとんど英語の喋れなかった彼、その彼が、ピアノ同様英語も完全に征服してしまったのだ。

 

20年ほど前、彼がアメリカに行く前に私が自費出版した本に「私の英語遍歴」というのがあり、それを彼に一冊贈った。当時彼はそれを何回も読んでくれたらしく、昨夜いうに「ボク、よう覚えてます。あの本の中に、こんなことが書いてありましたね。英語放送を聞いて40パーセント解るとか60パーセント解るという人がいる。が、それはおかしい、100パーセント解ってはじめて40とか60と言えるのであって論理矛盾だと。よく覚えてるでしょう」というのだ。いやよく覚えてくれていると感心すると同時にこの本も少しは彼の役に立ったのかと嬉しくなった。

話し変わるが、ピアニストの彼がピアニストとして命取りのジストニアになって指が動かなくなった。懸命のリハビリを繰り返し、もうほとんど治らないと見做され、見放された指が七本だけ動くようになった。彼はこの七本の指だけで十本分の動きをしようと鍵盤の上で腕のアクロバットを演じる。だれも経験したことのない不可能を可能にした彼だけの、あるいは彼ならではの演奏である。これは不自由を味わった者だけの特権のような自由である。それがどのようなものかは他人は想像する他ない。

 

実はこれが私の英語放送リスニングにあてはまるのだ。私はアメリカの国内放送であるNPR(National Public Radio)を51歳から聞き始め、今の81歳になるまで30年間聞き続けた。その甲斐あって、今年の3月の誕生日ごろから聞くだけで放送の大意が掴めるようになった。いよいよこれからが楽しみである。

 

何事も一万時間かければものになる。0、0001も一万掛ければ1になるが、0,0001を0と見なすから物事が成就しない。悟平君との話から思わず以上のようなことを考えていた。

 

ここ数日、久しぶりに西川悟平君に会っていろいろと懐かしい思い出話をした。

 

彼のタブレットから聞こえてくる彼の生の英語はもう現地人が話すのと何ら変わらない。24歳から18年間、滞米して身に付けたものだが、長くいたからといって誰もが出来る技ではない。彼の器用さに驚くほかない。ほとんど英語の喋れなかった彼、その彼が、ピアノ同様英語も完全に征服してしまったのだ。

 

20年ほど前、彼がアメリカに行く前に私が自費出版した本に「私の英語遍歴」というのがあり、それを彼に一冊贈った。当時彼はそれを何回も読んでくれたらしく、昨夜いうに「ボク、よう覚えてます。あの本の中に、こんなことが書いてありましたね。英語放送を聞いて40パーセント解るとか60パーセント解るという人がいる。が、それはおかしい、100パーセント解ってはじめて40とか60と言えるのであって論理矛盾だと。よく覚えてるでしょう」というのだ。いやよく覚えてくれていると感心すると同時にこの本も少しは彼の役に立ったのかと嬉しくなった。

話し変わるが、ピアニストの彼がピアニストとして命取りのジストニアになって指が動かなくなった。懸命のリハビリを繰り返し、もうほとんど治らないと見做され、見放された指が七本だけ動くようになった。彼はこの七本の指だけで十本分の動きをしようと鍵盤の上で腕のアクロバットを演じる。だれも経験したことのない不可能を可能にした彼だけの、あるいは彼ならではの演奏である。これは不自由を味わった者だけの特権のような自由である。それがどのようなものかは他人は想像する他ない。

 

実はこれが私の英語放送リスニングにあてはまるのだ。私はアメリカの国内放送であるNPR(National Public Radio)を51歳から聞き始め、今の81歳になるまで30年間聞き続けた。その甲斐あって、今年の3月の誕生日ごろから聞くだけで放送の大意が掴めるようになった。いよいよこれからが楽しみである。

 

何事も一万時間かければものになる。0、0001も一万掛ければ1になるが、0,0001を0と見なすから物事が成就しない。悟平君との話から思わず以上のようなことを考えていた。